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1999年11月30日

共同通信社配信
全国地方紙掲載 99/9-99/11



  1. 不自由でも意欲があれば
  2. ニ人三脚で勝ち取る
  3. 石畳で車いす押せ自信に
  4. 不安乗り越え海外へ
  5. 老人ホームを出人生ひとり旅
  6. お金じゃないのよ!トラベルボランティア
  7. いくつまで旅を楽しめる
  8. 可能性を追求。決してあきらめない
  9. 旅は創意と工夫が決め手
  10. 年なんて関係無い。わくわくうれしい


「旅はこれから 高齢道中に乾杯!」1
不自由でも意欲があれば


T冶さん(六五歳)と妻Y枝さん(六四歳)のことは、昨年三月、 スペインの中世の街トレドでT冶さんが発熱さえしなければ、あまり印象に残っていなかったと思う。 トレドに着いて一夜があけて、早朝、血相を変えて奥さんが私の部屋に飛び込んできた。 「主人が風邪をこじらせ、熱が高い。バレンシアの火祭りに行けそうもない」 結局ふたりはツアーのハイライトであるヴァレンシアの火祭りはあきらめて、 マドリードのホテルで休息し、ツアー最終日にマドリッドで合流し帰国した。

二人は今までに二回私のツアーには参加している。 はじめのツアー、スイスの温泉町バーデンでの初日の自己紹介では、 「私は盲導犬ではなしに、盲導女をつれてきました」と奥さんを紹介し、参加者の爆笑を誘った。 ところが、その奥さんがこの五月、肺癌で亡くなったという。

夏の暑い日、大阪の旭区にTさんを訪ねた。 京阪電車の「森小路」駅近くではり灸マッサージ院を開業していた。 T冶さんは四一歳の時、突然失明した。その後盲学校で学び、開業するまでの五年間、 Y枝さんが不動産会社に勤めて生活を支えたという。 「開業して三年間は苦労しましたが、だんだんなじみのお客さんがついてくれてね。 ゆとりもできたので、年に一、二回は、一緒に旅するようになったんですわ」

二階の六畳間に奥さんの仏壇が安置され、白い大きな百合の花が仏壇のまわりいっぱいに飾ってあった。 「旅行中、楽しかったこと?山ほどありますわ」 「ヴェネチアでは、僕一番でゴンドラに乗りまして。でも乗るときに運河に片足がドボンと落ちましてね。 そのとたん、船頭さんの丸たんぼみたいな腕でグアーとつかまれてあげてもらいました。くつもズボンも股までぐっしょり」

山岳救助犬セントバーナード犬で知られるスイスのグランサンベルナール峠も忘れられないという。 「帰国してから家内が世界地図買うてきましてね。「お父さん、載っているわ。グランサンベルナールが」と。 六月の末なのに雪が降っており、ごつい音がしていた。お父さん、雪かきのブルトーザーの音やで、と家内が教えてくれました。」

T冶さんは旅に出るといつも石を拾ってくるという。治療室から石が入ったガラスの容器を持ってきた。 セーヌ川、ナイアガラ、万里の長城など、コレクションは何十にもなる。 「これ、グランサンベルナール峠の石なんですわ。岩の間から雪解け水が流れていた。 それこそアルプスの水ですわな。なんぼも飲んだ。 ちょっと岩を引っ張ったら、すっとこの石が出てきて、ああこれを土産にもろうて帰ろうと」 「しょうもないもんですが、子供にも言うてますねん。二人の墓に石みな入れてくれと」



「旅はこれから 高齢道中に乾杯!」2
ニ人三脚で勝ち取る


大阪市浪速区のT行さん(六八歳)、A子さん(六七歳)夫妻のパリのシャルル・ド・ゴール空港での初体験は、 動く歩道での転倒劇。一九九六年十月、初の海外旅行だった。 A子さんは車椅子生活。T行さんがいつも車いすを押して生活している。 このときもT行さんに押されて歩道に乗った。

ここの歩道は身体の不自由な人にはやさしくない作りだ。手すりと歩道のスピードが違うし、 勾配が途中から急になる。その歩道でT行さんはあおむけに倒れてしまった。 T行さん、まず車椅子の左ブレーキをかけた。とたん車いすは横向きになり、左足にぶつかった。 バランスを崩してしまったのだ。荷物を詰め込んだリユックを背負っていたのでひとたまりもなかった。 あわてて空港係員が飛んできて、歩道の真ん中あたりで車椅子を押さえてくれたので、 けがはなかったが、あおむけのまま「終点」へ。この旅を含めて、 ご夫婦は私のツアーに四回参加しているが、こんなびっくりしたことはなかったという。

ふたりは浪速区の恵美第三小学校時代からの幼なじみ。同じ小児麻痺の障害を持って生きてきた。 昭和三七年、二人が三十歳近くなったころ、障害者サークルで偶然に再会し、恋に落ちた。 東京オリンピックの三九年に結婚にゴールイン。以来三五年間、共働きしながら一人娘を育ててきた。 文字通り二人三脚の人生だ。

A子さんは郵便局勤務のかたわら、点訳ボランティアも精力的に続けて、なんども表彰されている。 点訳実績は、この九月で九万五千二百三十ページにも上るという。 だから、パリ近郊の点字の発明者ルイ・ブライユ記念館を訪問するというツアーの内容が、 参加の決め手になったという。

思わぬ転倒騒ぎはあったものの、初のフランス旅行は楽しかった。 しかしA子さんには気になったことがある。南仏アルルの鉄道駅のトイレのことだ。 「アルルからパリまでの夜行列車に乗る前、トイレへ行ったら、車椅子マークがついていた。 普通の洋式トイレかと思って入ったら、ちよっと段があって穴があいているだけ。 和式みたいだったの。あんなのかなわんなー。手すりもないし、この人にひっぱってもろて、 しゃがむことはできた。でも、立ち上がれないんですよ。車椅子マークがついていても安心できませんな」

私のツアーでは、妻が夫の車椅子を押すケースが多い。 しかしこの旅では、細身のT行さんが体格のいいA子さんの車椅子をいつも押していた。 ほほえましい光景だった。「フランスでは車椅子を押すのは大変だった。石畳だしね。 でもずっと押せたんですわ。それが自信にもなっているんです」とT行さん。A綾子さんがこう付け加えた。 「人生先のことはわからんから、海外旅行には行けるときに行っておかんとね」



「旅はこれから 高齢道中に乾杯!」3
石畳で車いす押せ自信に


八月中旬、岐阜県中津川にT司さん(六九歳)、M代さん(六一歳)ご夫妻を訪ねた。 丘の中腹にある、風通しの良いお宅だった。玄関まわりの柱と壁の雰囲気がとても良かった。

二人は九五年秋、ドイツのビール祭とオランダの女王様のパレードツアーにそろって参加した。 ツアー初日、ザルツブルクのモーツアルトの家の近くのレストランで昼食時に私と隣り合わせに座った時、 二人は食後に四種類ぐらいの薬をテーブルの上に並べた。「夫は実はけいれんが多かったです。 退院して一ヶ月の間に二~三回ありました。病院に連れていき点滴してもらうと、 一時間ぐらいでおさまるんですよ」持参した薬はすべて抗けいれん剤だった。 旅先でT司さんは、いつも熱っぽいのか赤ら顔で話しかけると「アーン、ウーン」とうなづくだけだった。 言語中枢が戻らず、字を書くのも、しやべることもできなかったのだ。 水頭症の手術も受けたので、おでこも左側が部分的に陥没していた。 M代さんはしゃきしゃきした感じで、そんなT司さんを世話していた。

ツアー最終日、参加者ひとりひとりに感想を聞くさよならパーテイを開いた。 が、二人は食事半ばで、疲れたので先に部屋に戻るという。 そのとき、T司さんはゆっくり私のテーブルまで歩いてきて、アーアーと声を発しながら、 精いっぱいの笑顔を作って手を差し出した。 その手の中に青いパッケージのピースのたばこ一箱が握られていた。 彼の感謝の気持ちだったのだろう。そのことが印象に残っていた。

T司さんは岐阜の名匠として知事から表彰されるほどの腕前の左官職人だったそうだ。 中津川市内には、数々の作品が残っているという。根っからの職人のT司さんは九二年の九月、 近所の現場で倒れ、病院にかつぎ込まれた。くも膜下出血だった。 手術は七時間ぐらいかかったが成功。障害も残らないし、四五日もすれば歩ける。 軽い仕事なら復帰できますよ、と言われたという。ところが一週間後、T司さんの様子が急変。 脳梗塞をおこした。それから三週間は意識が戻らなかった。 寝たきりになるか、植物人間になるかが五分五分だと言われた。 意識が戻っても右半身麻痺で言葉もしやべれなくなるだろう、と言われM代さんは落胆した。 結局T司さんは四ヶ月半入院していた。その間、M代さんはT司さんの麻痺した手と足が少しでも動くように必死でリハビリを手伝った。 「意識がなくても私は面会時間いっぱいいて手を曲げたり、足のかかとのところを曲げたり」

そうやって勝ち取った海外旅行だったから、喜びもひとしおだったにちがいない。 「お父さん、ビール祭りのパレードがよかったね。ミュンヘン旧市庁舎のからくり時計もね。 オランダのクレラミュラー美術館ではお父さんの車椅子を押してガイドさんがゴツホの作品を全部見せてくれたね」。 「ウーン」「ウーン」と大声でT司さんがうなづいた。

「あの旅は私たちにとって新婚旅行みたいでした。あの旅に出られおかげで、 障害を持っているお父さんと、おおっぴらに人前に出られるようになった気がします」



「旅はこれから 高齢道中に乾杯!」4
不安乗り越え海外へ


「外国だからとおおげさに考えずに、旅は日常生活の延長ですから、きついと感じたら、 ツアーの日程を捨てて、ホテルの部屋で休んでいてもいいのですよ」。 昨年、四月、横浜市のSさん(七七歳)から、心配そうな何度目かの電話がかかってきたとき私はこう答えた。

結局、Sさんは 不整脈の調整薬や心臓の負担を軽くする薬など五種類の薬を携えて機上の人となった。

このとき、Sさんはどこでもいいからとにかく海外に飛び出したかった、という。 思えばずっと試練の日々だった。一九八六年、家を新築した前後から奥さんの痴呆がはじまり、 Sさんは自宅で介護に明け暮れる生活となった。 それからおよそ十年、九五年二月に奥さんを特別養護老人ホームにやっと入れることができた。 が、その年の夏に長女を肺炎で亡くした。 自分の心臓の不整脈もずっと気になっていたSさんは九六年と九七年に入院した。 ところが、入院した翌日に脳梗塞もおこしてしまったのだ。

英国では、Sさんは杖をついてゆっくり地面を踏みしめるように歩いていたが、 時々、愛知から電動車いすで単独参加したYさんの車いすにもつかまって歩いていた。 「左手で電動車いすに捕まって歩くと、杖がいらないんだよ」

イギリスの町の第一印象は、「日本の銀座とたいしてかわらない」だった。 オックスフォードのショップモビリティでは電動四輪に乗って街を歩いてみた。 自分が車いす生活をおくるようになったときにはたして乗りこなせるだろうか、試してみたかったのだ。 「スーパーの商品が車椅子からよく見える高さに陳列しているところもあったね」

昨年、横浜・山渓園の桜がとてもきれいな頃に、英国ツアーで一緒だった女性四人がSさんの家に遊びに来た。 電動車いすでスイスイ英国の街を走っていたYさんも、マンションは苦手。 リフト付きタクシーの運転手におぶわれて、一階の専用庭を通り、ベランダを越えて室内に入ってきた。 なつかしい顔と顔。積もる話に花が咲いた。筋ジストロフィーの障害があるYさんは椅子に座るより床のほうが楽だと、 板の間に座った。トイレに行くのに、誰の助けも借りずに、座ったままの姿勢で移動していった。 「Sさんの床、よく滑るからいいわ」と。それを見て、Sさんは希望がわいたという。 先日、Sさんは床に座ってレコードを整理していた時、三メートル離れた戸棚のものをとりたいと思った。 お尻を下につけると、その姿勢からは立つのが難しい。ふと、Yさんのやり方を思い出して真似てみた。 「楽なんだねー、これが。学んだよ、本当に。」

最近、Sさんの身体に癌が見つかった。余命三年という。 「飛ぶ鳥跡を濁さず」今Sさんは自分のお葬式のデザインを考えている。 そして、今冬、もう一度海外旅行をするつもりだ。



「旅はこれから 高齢道中に乾杯!」5
老人ホームを出て人生ひとり旅


「先生、私たち先がないんだから、早くどこかへ連れていって下さい。次のツアーはいつですか?」。 Nさん(七五歳)は私の顔を見るたび、こんな言葉をぶつけたものだ。 彼女は、東京・新宿のカルチャーセンターで「知的海外旅行術」という講座を持っていたときの生徒。

その後、私の企画した障害者が参加しやすいツアーに、何度も参加している。ご自身は元気いっぱいなのに。

日本橋浜町の生まれ。ちゃきちゃきの江戸っ子。 この欄で彼女を取り上げたのは、彼女の考え方、大げさに言えば「人生という旅」に興味を覚えたからだ。

高齢とはいえ、NさんはPR関係の会社の代表。 自宅は、東京都文京区の地下鉄千駄木駅に近いマンションの三階。ひとり暮らしだ。 マンションの前が救急病院、横が消防署だ。何かあったときには、這ってでも病院にたどり着けるから、 ここを選んだという。

この世代の高齢者は、たとえ杖をついていても、自分は元気、という気概が強い。 障害者が一緒のツアーはご免、という人が多い。 「なぜ、障害者の多いツアーに参加するかって?自分だけ旅行に行くのは悪いから、 車椅子のひとつでも押せば、気が休まるってものよ。」もったいないとか、ありがたい、 という気持ちがしみこんだ世代ならではの言葉。 「おかげさまで、という気分を味あわせてもらっているの」

Nさん、実は四年前まで埼玉県のある町の有料老人ホーム暮らしだったのだ。 ご主人は七年前に亡くなり、九十歳過ぎの母親と二人暮らしだった。老人ホームには母親と入居した。 ご自身も高齢のため、自宅では母親の介護ができなかったための決断という。

しかし、母親も間もなく死亡。一人ぽっちになってしまった。そこで三年間暮らしたホームを解約。 慣れ親しんだ千駄木界隈に戻ってきた。上げ膳下げ膳の暮らしはあこがれだったが、 なにか物足りなくて、というのが理由という。

「入居当初は、カエルが鳴き、夕陽がきれいな環境に満足していたの。 二十四時間お風呂には自由に入れるし、何不自由なかったわ。 でも生きるというエネルギーがそがれていくような気がしたの」。

契約書をよく読むと、退所しても入居金三千万円の半分は、戻ってくることもわかった。 弁護士と相談、即引き払った。
「やはり住み慣れた場所がいい。私にはおばあちゃん印はいらないのよ」。若い時から家業を継ぎ、その後いろいろな職業にもついた。チャレンジ精神旺盛。 いまも仕事をしている。のんびり暮らすのは性に合わないのだろう。

彼女は「パッケージされた老後」を捨て、人生ひとり旅を選んだことになる。



「旅はこれから 高齢道中に乾杯!」6
お金じゃないのよ!トラベルボランティア


「南フランスへの視覚障害者のツアーがあることを知り、介助者がなくても参加できることを聞きました。 私は中途失明者で、右目はO、OO二の視力があります。旅は好きで海外へも数回行きましたが、 思うように行動できない歯がゆさを感じていました。このようなツアーがあることを知り心強く思います」

「トラベルボランティア(有償旅行介助ボランティア)を、今回のツアーで探していらっしやるようですので、 お手伝いが出来たらと思っています。有償でなくても結構。体力にも自信がつきましたので」

今年六月のはじめ、FAXが二つ、同じ日に八ヶ岳南麓にある私の仕事場に送られてきた。 文面を読んで七月に実施が決まったフランスツアーで両者を引き合わせたいと思った。

あとのFAXは長野県松本市に住むAさん(六十六歳)である。 Aさんは、東京の総合病院勤務を皮切りに、大学病院、盲老人ホームなどで、 四十年近く看護婦として働いてきた。六十歳前に仕事をやめ、バリアフリーの家を建て老後に備えた。 旅が好きで人が好き。自由になったし、お金も貯まった。 トラベルボランティアとしていろいろな人の旅立ちに役に立ちたいと思ったという。

Aさんがトラベルボランティアとしてツアーに参加するのは今回で二度目。 彼女は一九九八年三月、スペイン・ヴァレンシアの火祭りに行くツアーで初めてトラベルボランティアを経験した。 相手は、福岡から参加した全盲のM子さん。しかし、パリからロンドンへ向かう国際列車ユーロスターの車内でAさんはプリプリ怒っていた。

前泊のパリのホテルで、十二時過ぎにM子さんが部屋に電話してきて寝入りばなに起こされた。 そのときに「すみません」の一言がなかった。お金を払っているのだから、助けるのはあたりまえ、 という態度に腹が立ったのだ。勇気を奮ってM子さんに伝えた。 「手助けしてもらったり、夜電話をかけるときは、すいませんと言った方がいい」と。

Aさんは、実はこのツアーに参加する直前に胃がんであることを主治医から告知されていた。 スペインツアーから帰国後、胃を全滴する手術を受けた。 だから本当は彼女自身も癒されたい立場だったと言える。

あれから一年、今回のフランスへの旅立ちは、彼女の体が順調に回復していることを裏付けた。 「胃がないと低血糖になるので、水、ビスケット、あめはいつもリユックに入れているの。 時間をかけてれば、皆の三分の一は食べられるわ」。

Aさんは、トラベルボランティアするのは、割り引かれるお金のためではない、と言い切る。 「トラベルボランティアをするって、癒し癒されている関係だと思う。 自分が役立っているという実感が嬉しいのね」
ふたりの旅が楽しく有意義だったのは、いうまでもない。



「旅はこれから 高齢道中に乾杯!」7
いくつまで旅を楽しめる


「セビリアの春祭りが良かったですわ。粋と言うのかしら、いかにもスペインらしい。 馬に乗った男も女も。女性は華やかでいいですわ。ああいうの」。

R子さん(七八才)にとって、今回のスペインツアー参加は、実に十年ぶりの海外旅行だったという。千葉市郊外、有料老人ホームの落ち着いた自室で語る。夫とはX年前に死別した。

「あたくし、前から行きたかったの。主人が弱ったので、 もう望みはないと思っていた。で、いろんなものを片づけていたら、 外国の紙幣が出てきたんですの。心がときめいたわ。でももう無理だろうと思った。 パスポートもかなり前に破って捨ててしまっているし。 でもおそどさんの新聞記事を切り取ってあったの」。

R子さんから突然、私の事務所にファックスが届いたのは今年の二月だった。 高齢で耳が不自由だが、私が企画する海外ツアーに参加できるか、 という問い合わせだった。もちろん行ける、と返事し、 次の、四月にマジョルカ島とセビリアの春祭りへ行くツアーパンフレットを送った。 すぐ参加を申し込まれた。

彼女の場合、単独でも参加してもらえるが、旅をより楽しくするためには、 筆談で彼女に説明する人をつけた方がいいと思った。 もし予算が許すなら、ツアー代金の三割増しで参加するのはどうか、と提案。 ファックスのやりとりは十通ぐらいになった。 トラベルボランティアとして、北海道から元気な七十代の元代議士夫人。 もうひとりは四十代の岐阜の英語教師をしている女性が見つかった。

これで万々歳、と胸をなで下ろした矢先、 出発の一週間ほど前になってキャンセルしたいと彼女からフアックスが届いた。 しかし、それは困る。トラベルボランティアが宙に浮いてしまう。 「取り消し料がかかるのは明日の五時以降だから、 それまでゆっくり眠って様子をみて下さい」、と彼女にフアックスを流した。

後で知ったのだが、麻生さんは十年前のツアー参加を実現するまでに、 ツアーに四回申し込んだもののその四回ともまともに出発できなかったという。 健康がすぐれず、参加を取り消したり、出発日から遅れて別の飛行機で飛び、ツアーに合流したり。 結局、旅先のホテルで寝ていてもいい、という私の言葉に安心して、R子さんは機上の人となった。

「今回の旅に行ってみて、景色よりもむしろ参加者に感激しましたわ。 トラベルボランティアのFさんやTさんがいたから安心して旅ができたし。 パーキンソン病の重度のご主人の車椅子を押して参加された奥様のファイトと体力には、 本当に「強き者よ、汝の名は妻なり」 と思いました」。

人はいくつまで旅が楽しめるのだろうか?有料老人ホームを後にしながら、私は思った。
旅立ちに一番必要なのは「体力」だと麻生さんが強調していた。 ご本人は高齢で身体が弱っているだけに、真実味のこもった言葉だった。



「旅はこれから 高齢道中に乾杯!」8
可能性を追求決してあきらめない


「ドナウ川の水に触ろうと雨の中、川べりに降りましたよね。 あれだけの障害者が行くっていうの、絶対普通の旅行ではありえない。 障害者というのは、すごく臆病で、警戒心を持ってるものなんですよ。 悪条件の中、普通ならおじけずきますよ。あれはおそどさんへの信頼感というか、 安心感ですよね。感動しました」 S作さん(六十歳)は、いまでも興奮さめやらず、といった表情で語ってくれた。 九月末、秋田県鷹巣町で針治療院を開いているS作さんを訪ねた。

S作さんが妻のE子さん(六二歳)と、 私の企画したドイツのビール祭とバートデュルクハイムの 大ワイン祭へのツアーに参加したのは、ちょうど一年前のことだ。 結婚三十周年を祝って、また、一九九六年にガンで胃を全部摘出したE子さんの、 「死んでもいいから連れていって!」の一言に動かされてのことだった。

ツアー参加者は弱視で耳の聞こえない女性、手動車いすの五人、 杖を使う人、目が不自由な七人(内盲導犬連れは二人)に十名の健常者が参加した。 それまでのツアーと異なったのは二つ以上の障害を持つ人が参加したことだ。 S作さんは特に障害が重かった。彼は一歳半の時に脳膜炎を患って失明。 左の聴力も失った。平衡感覚も維持しにくかった。 しかし、そんなことをものともせず、彼は秋田県立盲学校を卒業してすぐ、 針治療院を二四歳の時に開業し、四年後、E子さんと結婚し、一男一女をもうけた。

ところが、子供が中学生と高校生になった九十四年八月、 彼は脳出血で倒れ、半年の入院生活の後左半身が麻痺してしまった。 満足に使えるのは右耳と右手だけだった。自殺を考えたことはないが、 一日おきに片道一時間以上かけて見舞いに訪れるE子さんには、 やり場のない絶望感から八つ当たりする日々が続いたという。

しかし彼は、手術して十日目あたりから、医者に内緒で独自のリハビリを始めた。 毎日、午前と午後に一時間ずつ、自分の右顔面に、右手だけで針を打つ練習をしたのだ。 そして点字も右手先だけで読み書けるよう、触感を磨いた。 そして、半年後に友人のサポートを得て治療院を再開。 初日は待ちかねた十名ほどの患者が詰めかけ、 自分の顔で鍛えた針を六十二歳の常連の女性の腰に怖々うったら、 「ああ、楽になった」と歩き出したという。
こうして再起を果たしたS作さん、ドイツでは毎日ビールの大ジョッキーを手に、 豪快な笑い声をあげていた。でも外を歩くとき体は揺れ、足下は心許ない。 粥主体の食生活のため、体重三十九キロしかない奥さんの肩に手を置いて、 体重七十二キロの巨漢が不安定に必死で歩いていた。あれではもたないな、と思った。 さっそくハイデルベルクで車いすのレンタル業者を探すよう添乗員に指示し、 ツアーバスを横付けした。「おそどさんが判断されて、車いすを現地で借りてくれたことが、 このE子の寿命を延ばしたんです。いやー、僕もホッとしましたよ」

自分に何ができるか、と可能性を追求し、決してあきらめない。 これが障害や大病から再起を果たすキーワードかもしれない。



「旅はこれから 高齢道中に乾杯!」9
旅は創意と工夫が決め手


身体に障害があっても、この地球上、行きたいところには行きたいはずだ。 設備がないなら工夫すればいい。こんな気持ちになったのは、 障害を持った人の参加しやすい海外ツアーを企画・実施して三年目を迎えたころからだった。 そして九八年の夏、思い切って、モンゴルのゴビ草原でゲルと呼ばれる遊牧民テントに泊まり、 途中の北京では階段だらけの万里の長城へ上るというプランを考えついた。 車いす用に市販のダンボール製折り畳み自在の簡易トイレを持参。 階段だらけをクリアーするに、現地で三~四人の力持ちを雇い同行させることにした。

参加者二十人のうち、手動車いすの人が八名参加した。 R子さんも夫のM雄さん(八四歳)の車いすを押して参加した。 R子さんはM雄さんが六〇歳の時脳血栓で倒れてからずっと 自宅介護を続けてきたという。旅先ではイライラした雰囲気はなく、 円熟した夫婦、仲むつまじい姿が印象的だった。

モンゴルへは、投げれば開く縦型テント一つと、 前述の簡易トイレを二個持参した。階段などで行く手を阻まれても、 「地球どこでもトイレ」を都合の良い場所に設営して旅を続ければよい。

五十人乗りの旧ソ連製の今にも壊れそうなプロペラ機で滑走路らしい 滑走路もないゴビ草原に着陸し、近くのツーリストキャンプにバスで着いて まずびっくり!キャンプでは、ツアー参加者のゲルが隣り合わせにとれないのだ。 歩ける人、歩けない人、排泄に問題のある人が飛び飛びに散ってしまう。 ひとり地面にゲル見取り図を置いて、四人一組の部屋割りの組み合わせを胃が痛くなるほど考えた。 思い切って、三組の夫婦にもわけを話して男女別になってもらい、 ひとつのゲルをトイレ用にあけることにした。 これで、持参のテントに設けたトイレと、世界にひとつしかない「ゲルトイレ」ができあがった。

ゲルトイレの入り口には、アウトドア用の給水手洗いをつけ、 排泄物をビニールに入れて捨てるゴビ箱も置いた。 ゲルの入り口は段差も少なく、幅も広く、車いすごと入れた。

夫妻はゴビ二泊目は、観光をやめて、 ツーリストキャンプに残って体調を調整したいと申し出た。 ご主人の排泄のことが一番心配で、モンゴルには尿瓶、 ユリアポット、紙オムツを山ほど持ってきたR子さんだが、 紙オムツはほとんど使わず、モンゴルの障害者との交流会で全部オムツをプレゼントしてしまった。

「使い心地? あのゲルトイレは三回ぐらい使ったかしら。 主人を車いすに乗せたまま、中央に置いた簡易トイレの際まで近づき、 便座に座らせた後、用を足すまで外で待っていたわ。本当にユニークなトイレだったわね」

設備がないからやめるのではなく、ないなら考える。旅は創意と工夫が決め手である。



「旅はこれから 高齢道中に乾杯!」10
年なんて関係無いわくわくうれしい


人の出会いとは不思議なものである。 時には家族以上の関係に発展することもある。 H子さん(七十歳)とJ子さん(四六歳)の場合はまさにそうだ。

初めて彼らに会った人は誰もが親子だと思いこんでしまうだろう。 H子さんは娘と言っても不思議ではない年齢のJ子さんの車いすを、 いつも押して旅をしている。そして漫才コンビのように笑いが絶えない。 静かだと思っているとケンカを始める。いいたいことを言い合っている。 だから誰もが内輪もめと思ってしまう。

七年前、H子さんがご主人とオーストラリアツアーに参加したとき、 偶然、J子さんもお母さんと参加した。それが二人の初めての出会いだという。

一九九八年七月に、モンゴルのゴビ草原の遊牧民テントに滞在し、 北京の万里の長城へ登る、車いすの人の参加できるツアーを企画した。 このツアーに手動の車いすと松葉杖を併用してJ子さんが単独で参加してきた。 「身体に障害を持っていてもできないことはないのだ!」と主張する初の冒険ツアーだった。

このツアーの成功に気をよくした私は、「不可能を可能に!」 の冒険ツアー第二弾を企画した。オーロラだけでなく、薪で暖めるサウナに入れたり、 ボスニア湾の厳寒の海に浮かぶアイススイミングを楽しめる フィンランドの北極圏へツアーを出そうと。 障害を持っていても、希望者全員にアイススイミングは体験してもらおう。 過去のツアーに参加してきた人々にダイレクトメールを出すと、 J子さんとH子さんが早々と参加を決めてきた。

参加者全員の靴底にはゴムの滑り止めのゴムバンドをつけ、 松葉杖や杖の先には杖用のアイスピックをつけ、 ダウンジャケットをはおり、頭巾で覆う重装備で成田空港を後にした。

H子さんはボスニア湾の氷上からスイムスーツを着て海に浮かぶ アイススイミングにも積極的に挑戦した。息を吸うと鼻毛も凍る厳寒の中、 アイスバーンになっているスウエーデンとの国境を津田さんの車いすを押して元気良く渡った。 いつも化粧をきちっとしているH子さん、五十代か、せいぜい六十代だろうと思っていた。 その彼女が七十歳であることを、ツアーの最終日の夜のさよならパーテイで知り、 全員がびっくりしてしまった。

そのH子さんに九月の終わり、広島県、尾道市内のホテルのレストランで会った。 旅の相棒、J子さんも一緒だった。

てきぱきした感じのH子さんは五十五歳の定年まで銀行に勤め、 四年前にご主人と死別した。ご主人も車いすを使っていた。 「主人の命日が四月二日、J子の誕生日が四月三日、 なにか因縁みたいなものを感じるんですよ。 この人いつも欠かさず主人の命日に花を送ってくれるんです」

旅の二人は、J子さんの母親がやきもちを焼くほど、妙にうまがあう。 意気投合した二人は、出会い以来十回以上も、二人だけで海外へ旅立っている。 旅が元気の素、次は今年十二月にインドへ共に旅立つと言う。

この二人を見ているとワクワク嬉しくなってくる。
「人間、年なんて関係ないし、身体に障害があったって旅に不可能はないのだ!」